~光る君へ~
愛子さま立太子への祈念と読む「源氏物語」
第32回 第三十二帖<梅枝(うめがえ)>byまいこ
「光る君へ」第46回は、赤染衛門(凰稀かなめさん)が書いた「栄花物語」(えいがものがたり 仮名で書かれた歴史物語 宇多天皇即位(887年)~堀河天皇(1092年)まで約200年間を描く)を倫子(黒木華さん)が読んでいました。
「栄花物語 巻第二十八」には、道長の娘・威子(たけこ 栢森舞輝さん)が章子内親王を産んだ際、女房たちが「あな口惜し(まあ残念)」と言ったのを聞いて、後一条天皇が「こは何ごとぞ。平らかにせさせたまへるこそ、かぎりなきことなれ。女といふも烏滸(おこ)のことなりや。昔かしこき帝々、みな女帝を立てたまはずはこそあらめ(これは何ということを。無事にお産をなさっただけでも十分過ぎることではないか。女で残念というのも愚かしいこと。昔の聖帝方が皆、女帝をお立て遊ばさなかったというのなら、ともかくであるが)」と諫めたと書かれています。
「光る君へ」第48回、彰子(見上愛さん)が「他家を外戚(母方の親戚)としてはならぬ」と言っていたのは御堂流(みどうりゅう 道長の子孫の一門)が天皇の外戚として勢力を保つために、後一条天皇(一条天皇の第二皇子 母は彰子)の後宮に威子だけを入内させ、他の妃が入内するのを阻んだということ。
男子が帝になるのが慣例だった当時、他の妃、すなわち側室がいなければ、たちまち皇統の危機に陥ってしまう。現代の皇統の危機と同じ状況で、男子を産むプレッシャーの高い威子に、出産への労いを伝え、女帝の先例を引いた後一条天皇は誠に英明。素晴らしい言葉を書き残してくれた赤染衛門に感謝したいと思います。 今回は、逆境が栄華に転じて花ひらいてゆく端緒を見てみましょう。
第三十二帖 <梅枝 うめがえ(内大臣の息子・弁少将が歌う催馬楽(さいばら 歌謡曲)「梅が枝」から)>
明石の姫は11歳となり、光る君は裳着(もぎ 女性の成人式)の準備に余念がありません。東宮も同じ二月(新暦で三月)に元服するので、その後すぐに明石の姫は入内することになりそうです。
一月の末に、六条院では薫物(たきもの 様々な香を調合した練り香)を調合することになり、光る君は香木などを女性たちに配り「薫物を二種類ずつ調合してください」と伝えます。女性たちが方々で薫物を調合しているので、六条院には鉄臼(かなうす 香木を搗くための小型の鉄製の臼)の音が、かしましく聞こえるようになりました。光る君は六条院の寝殿に籠って、仁明帝(810-840年)からの秘伝で一心に薫物を調合し、紫の上も東の対で父の式部卿宮から伝わる方法で調合して互いに挑み合っています。光る君は入内の調度品の香壺(こうご 香を入れる壺)を収める箱や香炉(こうろ 香を薫く器)などは目新しい趣向で作らせ、女性たちが心を尽くして調合した香のうちでも優れたものを嗅ぎ分けて入れるつもりです。
二月の十日(新暦で三月二十日頃)、雨が少し降り、六条院の寝殿に近い紅梅は花の盛りで、色も香りも比べようもないほど素晴らしい頃に蛍兵部卿宮が訪れたので、光る君は薫物の優劣を判定してもらうことにしました。薫物の調合法は同じはずなのに、香を合わせる人々の心によって薫りの深さ浅さが変わるため、人柄も忍ばれて興味深いことも多いのです。(薫物は沈香、麝香、白檀などを練り合わせて作る。代表的な薫物の名は、梅花、荷葉、菊花、落葉、侍従、黒方の六種類で六種(むくさ)の薫物ともいう)
朝顔の君の「黒坊(くろぼう 幽玄を表すとされる冬の薫物)」は、上品で落ち着いた香りが格別。 「侍従(じじゅう もののあはれ・もの (対象) によって心に喚起されるしみじみとした感動を表すとされる秋の薫物)」は、光る君が調合したものが特に優雅で心惹かれる香りと兵部卿宮は判定します。
紫の上の薫物は、三種類ある中でも「梅花(ばいか 梅の花の香を擬した春の薫物)が華やかで現代風で、斬新な薫りが加わっていて「今頃の風に匂わせるには、これに勝るものはありません」と兵部卿宮は賞賛します。
夏の町の花散里が控えめに一種類だけ調合した「荷葉(かよう 蓮の花の香に擬した夏の薫物)」は、趣の変わったしめやかな香りで、しみじみと慕わしい感じです。
冬の町の明石の君は、春の季節に冬の薫物を調合するのも面白くないと「百歩の方(ひゃくぶのほう 百歩の外まで香が漂い香るといわれる薫物)」を思いつき、世にも稀な優美な香りを調合します。兵部卿宮は、明石の君の趣向が優れているとして、薫物を調合した人を皆、褒めたので、光る君は「気の多い判者ですね」と言いました。
月が昇り、お酒を嗜みながら、光る君と兵部卿宮が昔の思い出話などをしていると、霞かかった月の影が美しいところに、雨の名残の風が少し吹いて、梅の花の香りが懐かしく、言いようもないほど薫物の匂いが満ちて、人々の心もときめきます。明日の裳着に行われる管弦の遊びの練習のため、殿上人が沢山集まり、笛なども聞こえてきました。内大臣の息子たちが六条院に参上した挨拶だけで帰ろうとするのを引き留めた光る君は、琴などを取り寄せて合奏することにします。兵部卿宮は琵琶、光る君は筝の琴、柏木の中将は和琴、夕霧は横笛を奏で、弁少将が拍子を取って催馬楽の「梅が枝」を謡うのは、たいそう趣きがあるのでした。
翌日、光る君は戌の刻(午後八時前後)頃に裳着が行われる秋好中宮の西の御殿へ赴き、紫の上も、この機会に中宮と対面します。子の刻(夜中の十二時前後)に明石の姫は裳を着けました。腰結役の中宮は大殿油(おおとなぶら 宮中や貴族の邸宅でともす油の灯火)の灯りは仄かながら、明石の姫はとても美しいと思います。光る君は、母親の明石の君がこうした折にも娘に会えないのを辛がっていたのが心苦しく、裳着に参上させようかとも思ったのですが、人々の噂になることを憚って、そのままになりました。
光る君は、明石の姫の入内のために桐壺(きりつぼ 中庭に桐が植えてある後宮の殿舎の一つ。淑景舎(しげいしゃ)ともいう)を立派に改装します。東宮も待ち遠しく思っているので、明石の姫の入内は四月に決め、入内のための調度品の雛型や図案などにも目を通して名人に作らせます。作らせた箱に収める草子は書の手本になるものを選び、昔の能書家で後世に名を残す筆跡も沢山ありました。
光る君は紫の上に「全て昔に比べて見劣りがする世の末(末世・まつせ 仏教で釈迦入滅後に仏法が衰え、道徳も人情もすたれる世)ですが、仮名だけは今の方が良いですね。六条御息所の何気なく走り書きした文は、筆跡の美しさに感動しました。娘の秋好中宮の筆跡は繊細で趣きはあっても才気は足りないかもしれません」「藤壺の尼宮の筆跡は、優美でも華やかさが乏しい感じでした。朧月夜の尚侍こそ当代の名手だけれど、あまりにも洒落過ぎて癖もあるようです。それでも朧月夜の尚侍と、朝顔の君と、あなたこそは、字の上手な人と言えるでしょうね」などと伝えます。
さらに光る君は絵を選ぶ際に、あの須磨で描いた絵日記を後世まで伝えたいと思いますが「明石の姫がもう少し成長して世の中のことが分かるようになってから」と考え直して、今は取り出しませんでした。
内大臣は、明石の姫の入内の準備を他人事に聞いても気がかりで寂しく、娘の雲居の雁が盛りの美しさなので、夕霧の中将が熱心だった時に承諾していればと嘆いています。夕霧は雲居の雁が恋しいのですが「いくら立派な人でも六位なんかではね」と浅葱色の袍を乳母たちに侮られたので、せめて中納言になってから会おうと思っています。
夕霧の身が定まらないのを心配した光る君は「右大臣や中務の宮なども婿にと仄めかしているから、どちらかに決めてはどうだろう」「女性のことは私も父の教えに従わなかったので言いたくはないのだが。いくら高望みしても思い通りにはゆかず人には限度があるのだから浮気心は持たないように」などと諭しますが、夕霧は黙ったままで他の女性に心を寄せるなど思いも寄りません。
ところが「中務の宮が光る君に承諾を得て縁談を進めているようです」と女房から聞いた内大臣は「こんな噂を聞きました。夕霧は情けのない人ですね。今さら下手に出れば世間に笑われるだろうし。どうしたものか」と雲居の雁に伝えてしまいます。内大臣が立ち去り、雲居の雁が悩んでいるところに、夕霧から文が届きました。
つれなさはうき世の常になり行くを 忘れぬ人や人にことなる 夕霧
あなたのつれなさは世の人並みになりつつあるのに あなたを忘れぬ私は人とは違うのでしょうか 限りとて忘れがたきを忘るるも こや世になびく心なるらむ 雲居の雁 これ限りと 忘れがたい私を忘れてしまうのも これこそ世になびくあなたの心なのでしょう
「何を言っているのか」と夕霧は雲居の雁の文を下にも置かず、首を傾げながら見るのでした。
***
光る君の子供たちが成長してゆきます。明石の姫11歳、夕霧は18歳。父の光る君は39歳になりました。六条院が完成して4年も経ってから紫の上が初めて対面できた秋好中宮は権威が非常に高く、元受領の明石の入道の孫・明石の姫が腰結役をしてもらえたのは破格のこと。光る君が実母である明石の君を裳着に呼ばなかったのは、明石の姫の将来に差し障りがないようにするためでしょう。
「浮気心は持たないように」と息子を諭す光る君。「野分」の帖で玉鬘と馴れ馴れしい仲になっていたのをはじめ、数々の父の行状を知っているはずの夕霧は、きっと読者と同じく「どの口が言う?」と思っていたのでは?
「光る君へ」第48回、ドラマ上で異母兄の頼宗(上村海成さん)と関係する奔放な賢子(南沙良さん)は、二人の従姉・玉鬘と雲居の雁を想う真面目な夕霧と対比したくなります。当時、異母兄弟姉妹の結婚の例があるにも関わらず、夕霧が玉鬘を異母姉と信じていた間は恋愛対象にしなかったのは、紫式部が近親婚を如何なものかと思っていたということでしょうか。
さらに、花山院(本郷奏多さん)は出家後に斉信(はんにゃ金田さん)の妹に通ったり、母娘を同時に懐妊させたりしていましたが、藤壺や朧月夜という帝の妃と密通するほど奔放な光る君であっても、出家した女性や、母娘とは関係するに至っていない、と自らも出家した瀬戸内寂聴さんが指摘しています。
確かに光る君は、藤壺が出家した後は、共に冷泉帝に入内した秋好中宮を盛り立てるなど政治上の同志のようでしたし、六条御息所と秋好中宮、夕顔と玉鬘という母娘に想いは寄せても、娘の方とは関係しませんでした。
紫式部は光る君に、恋愛の禁忌を破ることと同時に守ることも課しているのかもしれません。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
第27回 第二十七帖<篝火 かがりび>
第28回 第二十八帖 <野分 のわき>
第29回 第二十九帖 <行幸 みゆき>
第30回 第三十帖 <藤袴 ふじばかま>
第31回 第三十一帖<真木柱(まきばしら)
それぞれの女性に合った衣装の違いなどを事細かく描写していくところはいつも興味を惹かれますが、今回は「薫物」です。
より微妙な違いのはずですが、それをこうも描き分けているところに、実に味わい深いものを感じます。
光る君の「全て昔に比べて見劣りがする世の末」という言葉、1000年前から人は年を取ると「昔は良かった」と言ってきたのだなあと思わされます。
その光る君の、「どの口が言う?」のセリフもまた、1000年前から人は自分のことを棚に上げないと人を諭すことなんかできないものなんだなあ、とも。
次回もどうぞお楽しみに!